はじめに

この作品を作るにあたり 美濃加茂市 発刊・美濃加茂市教育委員会編集の
”市民のための美濃加茂市の歴史”を参考にいたしました。


慶長5年(西暦1600年)、徳川家康が関ケ原の戦いで勝利を得、
それから3年後江戸に幕府を開きました。
幕府は、江戸を中心とする5街道:東海道・中山道・日光街道・奥州街道・
甲州街道を整備し、公家や諸大名の往来を円滑にするようにしました。
5街道の内の中山道は、東海道の裏通りとも言われ、
東から武蔵・上野・信濃・美濃・近江の5ケ国を通りました。
宿67のうち16宿が美濃の国におかれました。
その内の一つ、太田の宿は出発点の板橋宿より51番目にあたります。

{木曾のかけはし太田の渡し碓氷峠がなくばよい}

このように歌われた太田の渡しは、中山道の三大難所の一つでした。
もちろん 歩いてわたることなど到底出来ず、舟でわたるにしても、
その時々にかわる水の流れに気を使わないと、転覆の憂き目に遭うことが
よくあったそうです。

このお話は、そんな背景があることをご理解の上、ご覧下さい。
例によって、史実とはなんら関係がありません。


むかしむかし、そう今からかれこれ400年ほど前のことです。
関ケ原の戦いで勝利を得た徳川家康は3年後、江戸に幕府を開きました。
天下の安定を計るため家康は、諸大名の妻や子女をいわば人質として
江戸に住まわせ、謀反を防ぐ政策をとりました。【参勤交代の制度は
寛永12年(西暦1635年)に確立されました。】
中山道は又の名を姫街道とも呼ばれ、多くの姫が大行列をなして通行した
とのことです。・・・・・

近江の国元を離れ、江戸屋敷に向かう玉姫はまだ幼少9歳でした。
江戸までの道のりはまだまだ遠く、少しばかりうんざりしてきました。
もともと玉姫はじゃじゃ馬娘で女中や腰元はいつもハラハラしていました。
玉姫一行は(江戸から数えて)中山道51番目の宿・太田の宿に到着しました。
今夜はこの宿で泊りです。玉姫一行は本陣の福田家に入りました。
おりしも今日は太田の町の夏祭り、あちらこちらから、笛やら太鼓の音が
聞こえてきます。
玉姫は嬉しくなってきました。付け人のお初と二人きりになって、玉姫は
思いっきり手足をのばし、大きな背伸びをしました。
「玉姫様、なんとはしたないお姿、たれぞ見てるかもしれませぬ。お気を
つけあそばせ。」
お初はこう言って玉姫をたしなめましたが、一向に気にせぬようすでもう一度
大きなあくびをしました。

「の〜うお初」
玉姫はお初に話し始めました。玉姫がお初に対して「の〜う・・・」と
切り出したときは、たいていやっかいな事を言い出すときでしたので、
お初はつっと立って後片付けをしようとしました。
「の〜うお初」
玉姫はお初のすぐ前にきました。こうなると無下に知らぬ顔はできません。
「はい 姫様」
「この宿は何やら騒がしいのう。」「私はこんな騒がしいところはいやじゃ!」
玉姫は、まるっきり反対の事を言いました。お初も心得たもので「はい 姫様
まったくその通りです。遅くなると もっと騒がしくなるやもしれませぬ。
早うお食事をされまして、お眠りなされませ。」
「の〜うお初」
「はい 姫様」
「今宵 少しだけ 外に出向こうぞ」
「ダメでございます。玉姫様は大事なお体。もし何ぞあったときには一大事で
ございます。ここは近江のお城ではございませぬぞ」
お初はこう言って諭しましたが、すでに玉姫の心は本陣の外・・・・・
一向に聞く気は無いようです。お初はあきらめ玉姫に言いました。
「そのお姿では目立ちまする。私が町娘の衣服を取り揃えて参りますので、
それまでお待ちくだされませ。」
玉姫は一層うれしそうな顔をしていました。
「町の娘のすがたになるのか。これは楽しみじゃ。お初早う用意してたもれ。」


中元に少しの金子を渡し、内密にするよう話したお初は、玉姫と二人して
こっそり夜の太田の町へと出かけました。
町のあちらこちらでは、少々お酒の入った男たちが大きな声で笑いあって
いました。笛や太鼓の音が大きくなり、その周りでは男や女子供が輪になって
なにやら踊っています。
「お初 あれはなんじゃ?」
「はい姫様 盆踊りにございます。」
「盆踊り?私もやってみたい。」
「無理でございます。」
「でも やりたいのじゃ。」
そう二人してやりとりをしていた時です。フッと姫が誰ぞやに抱きかかえられ
ました。あっと思ったときです。抱きかかえた男が言いました。
「さあさ おじょう 何だかんだって言ってないで、入った入った。」
男は玉姫を輪の中にいれました。
最初は少しばかりまごまごしていましたが、その内に玉姫は上手に踊るように
なりました。ハラハラしてみていたお初でしたが、玉姫の余りにもうれしそうな
顔を見て、なんだか急にかわいそうになりました。
それはそうです。玉姫はまだ9歳。父親である殿様、母親である奥方様と別れ
単身江戸表の屋敷に出向くのです。いくらこれが世の慣わしとは言え、
これで今生の別れになるのかもしれません。
お初はできるだけ玉姫のやりたいようにしてあげようと思いました。

その後、町のあちらこちらを見て周り、玉姫とお初は本陣へ戻りました。
踊りつかれたのか、歩きつかれたのか、玉姫は軽いいびきをかいて眠って
しまいました。お初もドッと疲れがでたようです。早々に眠りにつきました。

どの位たったでしょう。
ピカッ・ガラガラドドーン
すさまじいカミナリとともに雨が降り出しました。

ここは太田の宿・

{木曾のかけはし太田の渡し碓氷峠うすいとうげがなくばよい}

こう歌われた太田の渡しはこの先あと少しのところです。
昨夜の雨で水嵩は増えていました。
太田の渡しは木曽川を渡るのですが、この少し上流の小山あたりで、
木曽川は飛騨川と合流するのです。その為か水嵩は深く、
とうてい人が歩いてわたれるわけがありません。
舟で渡るにしても、その時々の水の流れをよく見極みきわめないと、
転覆の恐れがあります。
この日の水嵩は川止めにするかしないかの微妙なところでした。が、
舟かしらは思い切って舟を出すことにしました。
「川渡しじゃ!川渡しじゃ!」
舟かしらは大きな声で他の船頭に指示をだしました。

その当時、単に川を渡ると言ってもそれは大変な作業でした。大名等を渡す船
(この船は渡賃を取らなかったとの事です)・渡船とで多い時は2000人前後の
人々や荷物をおおよそ15人ほどの船頭で渡したとの事です。
むろん、一般の旅人等はこの渡しの後になったようで、
当時の旅の時間の流れは本当にのんびりしてたように思います。

・・・・・話が少し横にそれました。

玉姫たちは無事に向こう岸の土田へと着きました。行列の後はまだまだ川を
渡っています。渡し船は何度も行き来を繰り返していました。
玉姫は籠の中で待つ間少しうとうととしていました。・・・・・・・・突然!
「わあ 転覆てんぷくじゃあ。」「おーい船がひっくり返ったぞーっ。」と言う声が
しました。行列の一行は川の中を覗きました。
2隻の船が川の中ほどで転覆しています。
乗っていた家来の侍や、荷物は川に投げ出されてしまいました。
落ちた人を助けるもの、荷物を拾い上げるもの、もうてんやわんやです。

・・・・・・・

ようやくのこと、太田の渡しを渡りきった玉姫の一行は
「ご出立〜っ。」
かけ声とともに行列をなして、伏見・御嵩へと向かいました。

玉姫たちの行列が、太田の渡しをなんとか渡りきり、伏見のほうへ出立した後、
ここ、土田の渡し場には太田の宿へと向かう二人の女小娘が船を待っています。
で、よ〜くみるとそれはなんと!玉姫とお初ではありませんか!
いったいこれはどうなっているのでしょう?

ここで、少し時を戻ります。

あの渡し船の転覆の時、玉姫は一計を案じました。
皆が転覆のためにあわただしく動いているとき、お初に無理やり籠から降ろさせ、
町娘の姿になって、も一度あの盆踊りをしてみたいと言い出したのです。
お初は始め大反対をしたのですが、いつものこと聞き入れてはくれません。
お初も、前にお話したように玉姫を不憫に思っていましたので、早籠で後から
追っかければ、なんとかなると考えました。
で、身代わりとしてすぐ傍にいらっしゃったお地蔵様を、なんと玉姫とお初に
見立てたのでした。
そうとは知らぬ玉姫の行列はお地蔵様を乗せて伏見・御嵩へと
向かったというわけです。

玉姫とお初が太田の宿へ戻ろうと渡し船に乗り、川の中ほどにさしかかった
ときです。
突然、大きな川波が二人を飲み込んでしまいました。それはあたかも龍が
襲いかかったみたいでした。

話変わって、
身代わりとなったお地蔵様をのせた玉姫一行が、道中御嵩みたけの宿にて
休息を取ることになりました。
籠を停め、女中が玉姫の籠に向かって言いました。
「玉姫様、ここで一先ずご休息を、お履物をご用意いたします。」
「・・・・・」
へんじがありません。
「玉姫様?」
「・・・・・・」
やはり返事がありません。女中は少し不安になりました。
「玉姫様、ご無礼つかまつります。」
といって、籠のかぶりを開けました。
! なんとそこには玉姫ではなくお地蔵様が乗っていらっしゃるではありませんか。
女中は、驚いて思わず、「ひえ〜っ」と叫んでしまいました。
家来たちも駆け寄ってきました。
籠のまわりを囲んで見ていますと、やおらお地蔵様が立ち上がり
「やれやれ、見つかってしまったぞ。」と言ってスタコラサッサと土田の渡しに
むかって走り出しました。
続いて、お初の乗っていた籠からも、もう一人のお地蔵様がやっぱり
スタコラサッサと土田の渡しに向かって駆け出しました。

玉姫の家来一同はあっけにとられ、ポカンとみています。
ふと、気が付いたけらいが、「追いかけるのじゃあ〜。」と叫び、お地蔵様の
後を追いかけだしました。
家来たちもあわててその後を追いかけ始めました。

お地蔵様と、玉姫の家来たちはまるで追っかけっこのようにして、
土田へ戻ってきました。
お地蔵様がいらっしゃった祠までくると、
なんと玉姫とお初がお地蔵様の身代わりとなって祠の中に立っているではありませんか。
家来たちは二度びっくり、あわてて 玉姫たちを揺ゆり起おこしました。
「玉姫様、玉姫様・・・」

「玉姫さま、玉姫様・・」
玉姫はふっと目が醒さめました。
「長らくお待ちいただきました。ご出立です。」
なあ〜んと、玉姫は籠の中で夢をみていたのです。
ほんの一時の淡い夢、それはちと変わってはいましたが、
盆踊りがしたい一心からだったでしょうかそれとも・・・・・

「ご出立〜っ」
こうして、玉姫の一行は江戸への長旅についたのでした。
この中山道はこのような お姫様を乗せた行列が、
いくつもいくつも通り過ぎたのでしょう。
姫街道といわれる所以はここにあるのでしょう。

おわり   

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